EVERSMILE(エバースマイル)
映画の紹介文、コメント、ショートレビュー的な雑文を書いています。何かの参考になれば幸いです。
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免税店でおみやげを買ったあと私たちはニュージーランド出国審査を通過しないといけなかった。すぐに終わるだろうと高をくくっていたら、そこには出国審査を待つ長い列(百人以上はいただろう)があった。

私(おそらく妻も)はしまったと思った。なぜなら、飛行機の出発時刻まであと20分足らずだ。はたして間に合うのか非常に不安になった。私が不安になってもこの長い行列が速くなくなるわけではないので、できるだけ落ち着いて私たちの出国審査の順番を待っていた。

私たちの列の前にいた東洋人の母子は、行列を追い抜いて出国審査を受けようとした。よくそんなことをするなあと思って見ていたら、案の定、周りの旅行者は後ろへ戻るように厳しい口調でその親子に言った。嫌そうに列の後ろへ戻る母とその息子。私たちの前にいたのに結果として私と妻の後ろに並ぶはめになった。そんな彼らの気持ちはわかるが、私たちだってできるだけすぐ審査を受けたいのだ。

出国審査が終わり、荷物検査を私たちは受け、免税品受け取り場所へ行った。ここで免税品を受取るのだが、こんな時に限ってなかなか品物を渡してくれない。おそらく3分くらい待って渡されたが、私はなんだか10分以上待ったように感じた。

飛行機出発案内の画面を見ると、私たちが乗る予定の便は「GATE Closed(搭乗終了)」とあった。
「マジかよ!」と私は驚いて叫んだ。「とにかく、急ごう」
 私と妻は走って搭乗口へ向かった。
「おお、あなたたちですか?タイ国際航空に乗るのは」と空港係員が私たちに言う。
「そ、そ、そう」と声にならない声で私は答えた。
空港係員と私たちは3人で一緒に走った。彼は一度違うゲートに案内しそうになった(彼も慌てていたのだろう)が、間違いに気付き正しいゲートに私たちを案内した。

すでに締まっているドアを彼は開けて、私たちはボーディングブリッジを駆け抜け、無事になんとか搭乗できた。搭乗手続きが済めば置いて行かれることは無いと聞いているものの、それが本当かどうかわからないし、実際、乗客が現れなかったら飛行機は行ってしまうだろう。皆さん搭乗に遅れてすみませんと心の中で思いながら私は座席まで歩いた。
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朝、ホテルをチェックアウトしエアーバスで空港に向かった。今日はニュージーランド出国し日本へいよいよ向かう。

搭乗手続きの列に並び手続きを終わらせると私はおみやげを探した。空港内にギフトショップがあったのでいろいろ見た。ニュージーランドのおみやげとしては、マヌカハチミツ、ワイン、羊毛製品、マオリ族の工芸品などが定番のようだった。

マヌカハチミツには抗菌作用があり体の免疫能を向上させるらしい。胃が少々敏感な私によさそうだ。マヌカハチミツの抗菌作用に指数があり、私はコンビタ社のUMF20(UMFは抗菌作用の指数)の製品を購入した。他に私はマヌカハチミツのキャンディー、白ワイン、そしてなぜかローヤルゼリーまで買ってしまった。

家が広ければ羊毛の敷物や、マオリ族の手工芸品を買っても良かった気はしたが、広くないし、無くてもいいかとあきらめた。ちょっとしたおみやげならばおみやげ屋でなくても、ニュージーランドのスーパーマーケットでニュージーランドの国民が普通に食べているお菓子などが手に入るのでそういうものを買うのもいいかもしれないと思う。

Sailsセイルズレストラン(Sails Restaurant)をコンシェルジュに予約してもらった。セイルズは妻のニュージーランドでかつて住んでいた友達がお薦めのレストランだ。そのレストランはホテルの部屋に置いてあったニュージーランドガイドの本にも載っている。

私たちはタクシーでレストランまで向かった。店内の照明は暗めに落され、テーブルセットは直線的でコンテンポラリーな雰囲気だった。

長身の白人男性スタッフは陽気に日本語を交えながら私たちに料理の説明をしてくれた。
「この刺身の盛り合わせってのはどう?」と私は尋ねた。
「うん、微妙だね」とスタッフは言った。「しょうゆがちょっと違う」
暗に注文はしないほうがいいと彼は言っているように私は思ったので刺身の盛り合わせの注文を止めておいた。

私たちはいろんな料理を注文した。生カキを食べビールや白ワインを飲んだ。アボカドのソースを添えたスモークサーモン、ローストした鴨、白身魚のフィレ、ライスとオイスタのーフライ、パンプキンチーズケーキ、そしてコーヒーを頂いた。まさにニュージーランドでの最後の夜を飾るにふさわしい料理の数々。

ニュージーランドの料理はあまり期待できないと聞いていたが、ここのレストランは細やかで美味しい料理を出してくれた。旅行中薄くなっていくサイフの中身とはうらはらに私たちはおなかもココロも満たしてホテルへタクシーで帰って行った。

ホテルをチェックアウトしてから、私たちは町の中心にあるバスの発着場でバスを待った。今日はロトルアを出発しオークランドへ戻るのだ。

10時ころロトルアへ向かうバスが目の前に現れた。とても長距離を走るとは思えないマイクロバスだった。このバスは一番運賃が安かった(40ドル)。その理由はきっとマイクロバスを使っているからだ。ロトルアを出発し、バスはひたすら田舎道を走る。

バスは12時ころにハミルトンを経由し、2時過ぎにオークランドに戻った。別に私はオークランドの住人ではないにも関わらず、ここに戻ったことを懐かしく思うのはどうしてだろう。

オークランドの港湾エリアに私たちは降ろされた。北西方向にある太陽がまぶしい。二人で地図を頼りにスカイシティまで歩いた。クイーンストリトートを南に歩いていくとスカイシティタワーが見えた。3日前に泊まったスカイシティホテルで私と妻はまたチェックインの手続きをした。

昨日ポリネシアンスパ行ったが、私たちは今日もポリネシアンスパに行った。昨日は大人専用プールに入湯したが、今日はレイク・スパ・リトリートと呼ばれるところに入ることにした。レイク・スパ・リトリートはパンフレットによると4段階に温度設定がしてある露天風呂があり、昨日の大人用プールよりも少しデラックスな施設になっていて、更衣室にはロッカーもあるようだ。

朝6時半からポリネシアンスパは営業している。私と妻は一緒に朝6時半ころにホテルを出て、スパまで歩いた。私たちは受付で一人30ドルの入場料を支払った。更衣室は昨日の大人専用プールとは違い、きちんとロッカーがあった。ドライヤーや洗面台もあった。スポーツクラブの更衣室のような感じだった。

私は水着を着けて風呂場に向かった。ニュージーランドという響きからは想像を今までしたことがなかったような露天風呂があった。空気は少し冷たかった。7,8度くらいの気温だろうか。まず私は38と湯温表示がある風呂に入った。少しぬるく感じた。

他の風呂に目をやると40度の風呂があったのでそちらへ移動した。さっきよりは温かかったがまだ温かったので今度は42度のお湯に入った。私にはこの42度のお湯がここの露天風呂の中では一番よかったが、もう少し高い温度の風呂も用意してあるといいように少し思われた。

周りには妻以外誰もいなかった。朝もやのかかっているなか、うっすらと見えるロトルアの湖は幻想的だった。日常なかなか味わうことのできない環境の露天風呂に私たちは浸かっていた。

単純に温泉を浴びるだけでいいのであれば大人用プールでも十分だけど、お風呂の中で座ってリラックスできるのはレイク・スパ・リトリートの方だという印象を私は抱いた。私たちは、名残惜しかったためか、ロトルアの温泉に二日連続で入ったのであった。

夜、私たちは何か外で食べようと思い、ロトルアの中心地を歩いてみた。人通りが少なく街の中は結構静かだった。静かな外国の街を歩くのは少し怖いと感じた。

ロトルアは観光地なのにこんなに人通りが少ないとは、多分ホテルでかなりの観光客が食事をするのだろうと思った。適当にぶらつくとタイ料理店があった。中にはお客も結構いるし、きっとおいしいに違いないと私は思ったのでその店に入ることにした。

4、5組の白人系のお客が食事をしていた。私と妻は席へ案内され、椅子に座った。私たちはグリーンカレーとベジタブルスープと春巻きを注文した。そしてビールも注文した。

ニュージーランドに宿泊する日はあと二日しか残っていなかった。もうそろそろ旅も終わりだなあと思うと少し残念な気がしてきた。しかし、容赦なく時間は過ぎていくのだ。私はビールを胃に送り込みながら旅の感傷的気分に浸っていた。

グリーンカレー、春巻き、ベジタブルスープがテーブルに勢ぞろいした。みんなとても美味しかった。グリーンカレーは体が熱くなるくらい辛かったがくせになりそうな味だった。ベジタブルスープはトムヤンクン系の酸っぱさがあっていい味がでていた。味の素のせいかもしれない。どれもまた食べたいと思う料理だったが、残念なことにそうそうロトルアまで来る機会はないのだ。

昨日行ったマオリ族のショーの他、ロトルアは温泉があることで有名だ。そういうわけで、昼下がりに私たちが泊っていたホテルから徒歩で5分のポリネシアンスパに行くことにした。

ポリネシアンスパにはいろいろなタイプの温泉プールがある。あえて温泉プールと私が言うわけは、日本人にとって普通温泉は裸で入るけど、ポリネシアンスパでは水着を着て入浴するからだ。それと、湯船の形もプールみたいなのがあるということも理由に付け加えておく。

私たちは大人専用プールに入ることにした。受付で料金を払い更衣室に入るとロッカーが無かったので、私はとまどった。どうやらプールの側にあるラックからカゴを取って、それを更衣室に持って入り、それに脱いだ服入れるようだった。私は水着を着た。そして脱衣カゴを棚に置き,25mプールと同じくらいの大きさの温泉プールに入った。温度は日本人にははっきりいってぬるかった。私は熱い風呂は苦手だけれど、もう少しあったかくてもいいのになあという感じだった。つづいて妻もプールに入ってきた。

周りを見渡すと、7~8人くらいの入浴客がいた。老若男女揃っていた。私は少し歩いたり泳いだりしてみた。すると場所によって温度が結構違ったので、私と妻はなるべく温度が高いに浸かっていた。ニュージーランドで入るもなかなか乙なものだった。

 

ハンギマオリ族のコンサートが終わると別の場所に移動した。私たちはまだマオリ族のショーとディナーの代金を払っていなかったので、2人分で160ドルをスタッフに払った。それから私と妻はハンギを食べることになった。ハンギとは、バナナの葉っぱあるいは布で包んだ肉や魚介、野菜などを地面に掘った穴に入れ、焼いた石で蒸し焼きにした料理である。

料理はすべて食べ放題だった。私と妻は鶏肉、牛肉、ラム肉、イモ、ニンジンなどを皿に盛った。料理の味は基本的に質素な味付けであったので、素材の味そのものを味わうような感じであった。私としては、肉類は焼いたほうがおいしいと思っていたので、蒸してある肉類は少々物足りないものがあったように感じた。

私たちの近くには二人男の子を連れた日本人夫婦がいた。「ニュージーランドの英語は聞き取りづらいなあ」というような夫婦の会話が聞こえた。日本語は私の耳に良く届いてしまうのだ。そして、「そうだよな」と私は心の中で呟いた。私が行った英語圏(イギリス、オーストラリアとニュージーランド)の中では、確かにここニュージーランドの英語は聞き取りづらかった。

ハンギディナーが終わってしばらくすると、食堂の空いた空間でヴィレッジのスタッフたちが歌ったり、踊ったり、楽曲演奏をしたりしはじめた。そのうち世界中から来ているツアー客がみんなで手をつなぎ、歌を歌った。私と妻もみんなと手をつなぎ名前も知らない歌を合唱して宴を楽しんだ。

夕方7時ころ、ホテルの前にショーの送迎バスはやって来た。強面のバスの運転手はツアー参加者の名前を確認して乗車するように促す。バスの車体にはマオリ族の写真がペイントされていた。私と妻は名前を運転手に告げ、乗車した。バスはかつて日本を走っていた路線バスと思われた。なぜなら、『つぎ・とまります』のサインが運転席後ろにあったからだ。

バスが出発するとマオリ族のショーについてバスの運転手はとてつもなく陽気なノリで説明し始めた。それから、運転手兼ガイドはツアー客に楽しんでもらうため止まることなくしゃべり続けた。彼は英語でジョークを飛ばしているのだが、私の脳にはさっぱり解らなかった。私には英語の能がないのだ。しかし、英語圏の客はこのうえなく楽しそうに笑っていた。そのバスの中の雰囲気は日本ではありえない陽気さだった。

「キアオラ!(kia ora)」と運転手が叫んだ。「マオリ語でこんにちはって意味だよ。さあ、みんなも、キアオラ!」
「キアオラ」と私たちも言った。

キアオラが車内に響き渡る。私は初めてここでキアオラというマオリ語を覚えたのだ。

バスは20分ほど走ったのだろうか、私と妻を含めたツアー客の一行はマオリ・ヴィレッジへ到着した。ヴィレッジの入り口広場へ私たちは移動した。山から何人かのマオリ族が現れた。
「#$%*+#,☆w$!!」とマオリの男は叫び、夜のしじまを破る。
続いて数人のマオリの男と女が姿を現した。マオリの長は、私たちのツアー客代表の4人と互いに鼻先を合わせて挨拶をした。一連の入村儀式が終わり、ツアー客一行の入場は許可された。

私と妻はマオリ族の村へ入った。そして、しばらく再現されたマオリ族の集落を見学した。そこではマオリ族の昔の生活風習を知ることができる。30分くらいしてから次はホールに移動し、そこで私たちはマオリ族の伝統的ダンス見たり、歌を聴いたりした。マオリ族の遠い昔の記憶を今に蘇らせるような歌や踊りに思いを馳せるひとときであった。

はるばる日本からロトルアまで来たので、マオリ族のショーは見ることにしようかと考えていた。ロトルアでいくつかの場所でのマオリ族のショーが行われている。
客室のテーブルの上に、このホテルでマオリ族ショーがあるという案内が書かれた三角柱型の広告があった。ホテルのフロントにそのショーについて客室から電話で問い合わせると、今日は、ショーはないとのことであった。

私と妻はフロントまで行き、旅行ガイドブックをチェックインした時と同じ女性に見せながら、どのショーがいいかを尋ねた。彼女は私に、タマキ・マオリヴィレッジのショーが最もいいと教えてくれた。彼女はそこのパンフレットを私たちに見せてくれた。
そのパンフレットには、プリミティヴなタトゥメイクの顔の男の写真があった。そのツアーは送迎バスがホテルまで来て、私たちをマオリヴィレッジまで連れて行き、そこで客は様々なショーを見て、ハンギと呼ばれるディナーをいただくという流れになっている。

そのショーが見るに値するかどうかは結局行ってみないと分からない、いや、行っても分からないかもしれない。そうは言うものの、どことなく引かれるものがあったし、ニュージーランドらしいものを見たかったので、私たちはそのショーの申し込みを彼女にお願いした。
彼女はやや億劫そうにタマキのマオリ族ディナーショーを予約した。予約手続きが終わると、彼女は、私たちに7時前にロビー集合ということを伝えた。私と妻は7時の集合まで客室でくつろぐことにした。

ロトルアは温泉とマオリ族の文化で広く世界に知られている。私と妻はそのロトルアへ夕方4時過ぎに到着した。いくつかのホテルを回ったあと、バスはホテルミレニアムロトルアで停車。そこで私たちは荷物を持ってバスを下車した。
外はイオウのアロマがあたり一帯に漂っていた。あまりいい香りではないなと感じたが、慣れるといいニオイなのかもしれない。

まずは、チェックインした。神経質そうなメガネをかけた女性受付が無表情に対応した。その無表情はいささか私を緊張させた。滞りなくチェックインがすむと、客室のカギを受取り私たちは客室に向かった。

私たちはエレベーターで4階の客室に向かった。ところがあるはず(と思っていた)の客室が見当たらない……。これは、どうしたことかと考えながら、フロントでの受付女性のセリフを思い出した。
「『トンネルを越えてからエレベーターを……』ってたしか言ってたよなあ」と私は呟いた。

まずは1階へ降りてから私と妻は別の道を探した。エレベーターを降りて左側へ進むと屋根のある渡り廊下があった。
「そうか、これがトンネルだったんだ」と驚いたように私は言った。
トンネルみたいな渡り廊下をくぐり抜けるとまたエレベーターがあった。それに、私たちは乗り、4階へ移動した。4階には、探し求めていた客室があった。「あったよね、よかった」と私と妻は喜んでしまった。

朝8時前にホテルをチェックアウトし、私と妻はニューマンズ・コーチ(ある長距離バスの名称)でワイトモを経由してロトルアへいく現地ツアーバスに乗った。それから私たちはバスに3時間ほど乗りワイトモまでやってきた。

ワイトモの観光案内所に立ち寄る少し手前で、私たちはある小屋でアンゴラウサギの毛刈りショーを見た。ふわふわなアンゴラウサギの毛が刈られていく。

ワイトモはオークランドの南方に位置する小さな町である。ワイトモには世界で有名なツチボタル洞窟(glow worm cave)がある。ツチボタルは洞窟の案内パンフレットによると、ニュージーランドのツチボタルは、学名アラクノエアンパルミノサと呼ばれる発光昆虫の幼虫で、エサを引き寄せるために光を発するとある。

さらにパンフレットを読むと、光を発するのは幼虫だけであり、成虫は口が無いのでその命はわずか2~3日と書いてあった。なんてはかないライフサイクルなのだろう。

私と妻はツチボタル洞窟に入った。20人くらいの観光客とガイド1人と共にさらに内部へと入っていく。はじめに、この洞窟は鍾乳洞であり、鍾乳洞の説明をガイドが始めた。私は英語の理解能力があまり無いのでよく解らなかったが、要約すると、たぶん、長い時をかけてこの鍾乳洞は形成されてきたというようなことを言っていた。

ツチボタルの幼虫が目で見える場所に案内された。そこには洞窟の天井から垂れる糸状の物体があった。ツチボタルはその粘液にエサをくっつけ、たぐり寄せるという。

ツチボタル(イラスト)

いよいよメインイベントのツチボタルを見るために、小舟に乗る。ガイドは船頭となり、洞窟の天井に張られたロープで船を誘導する。 暗い洞窟をしばらく進むと天井には一面の青い星が明るく輝いていた。無数のツチボタルが放つ青白い光はまさにミルキーウェイのようだった私と妻はその光に心奪われるようにじっくりと天を眺めていた。オーストラリアでかつてツチボタルを見たことがあったが、規模はこちらの方が大きい。大自然の神秘的なショーを私たちは楽しんだ。

そちらへ歩くとやはりフロントだった。私はチェックインの手続きをする。フロントスタッフの差し出す紙にサインをしたり、スタッフにクレジットカードを提示したりして、それからスタッフはホテル客室のカード型キーを2枚私に渡した。

客室はブルーをベースにコーディネイトされていた。そのコーディネイトはどこかしらオークランド空港の青色を私に思い起こさせた。

部屋で私はニュージーランドのガイドブックをみたり、ホテルの案内書を読んだりして情報にざっと目を通した。そして、客室に置いてあった湯沸しポットとティーバッグで紅茶を二人分入れた。

「ありがとう」と妻は言い、紅茶の入ったカップに口を付けた。

私と妻は両替をする必要があったので、両替をしてから散歩をすることにした。

スカイシティの建物から外へ出て、私と妻は坂を下りて歩いていた。しばらくすると『The National Bank』という銀行を見つけた。グリーンの背景に馬のマークが印象的な銀行の看板だった。

私たち銀行の中へ入った。典型的な日本の銀行よりはなんとなく開放的なつくりで堅苦しい雰囲気が少ないような気がした。なぜなら、そこにはピアスをした行員や髪の一部が赤色をしている行員がいたからかもしれない。銀行顧客の列に並んで私は一万円札をニュージーランドドルに両替してもらった。

両替を終えてそれから街をさまよった。なるべく人が多くにぎわっているところを散策した。交差点に立っている通りの標識を見るとクイーン・ストリートと書いてあった。

街の中の人々はかなり東洋人の割合が多く、人々の雰囲気、店の看板などから考えると、私は中国や韓国語を話す人がこの地には多いように感じた。

バスの左側前部の乗車口から私たちは乗車した。15ドルの片道乗車券を運転手に渡した。

「どこのホテルへ行くんだい?」運転手は私たちに向かって尋ねた。
スカイシティホテルへ」と私は念を押すように言った。

まだ車内に乗客はいなかった。私と妻は並んで座席に腰を下ろした。目の前には何種類かの観光関連パンフレットが入ったラックが据え付けられている。パンフレット表紙にはラフティング、ワイトモ洞窟ツチボタルツアー、マオリ族ショーなどの事柄が記されていた。

何人かの乗客を乗せてエアバスはオークランドに向けて出発し始めた。窓の外に目を向けると箱型トレーラーをけん引する乗用車が見える。トヨタ、マツダ、ニッサン、ホンダ、ミツビシなど思ったよりも多くの日本車が見える。やがて幹線道路をバスは走り、空港を出て30分ほど経つとオークランド市街地に着いた。

スカイシティ!」と運転手は通る声で言った。

バスはスカイシティホテルに到着した。私と妻はそれぞれの荷物―スーツケースやバッグ―を持ち、忘れ物がないかを確かめながらバスから降り、目の前にある自動ドアをくぐってスカイシティのビルに入る。私はホテルのレセプションはどこだろうと思い辺りを見渡した。それらしき場所は20メートルほど先に見えた。

着陸前の機内から見えた虹ニュージーランドの大地を覆う空気の涼しさは私たちが南半球に来たことを思い知らせるのに間違いないものだった。私と妻は、ようやく到着したオークランド国際空港ターミナルビルのバス停の前にいた。

この地に到着するまでにバンコクからオーストラリア・シドニーの区間で2回、シドニーからオークランドまでの区間で1回食事があった。機内食はもうしばらく食べたくないだろうと私は妻に訊いた。

「うん、もういらない」と妻はうんざりしたような声で言う。

シドニーに一度着陸した時、オークランドに行く私と妻はそのまま乗っていてもいいのではと勝手に思ったりした。アナウンスされた英語が十分にはわからなかった私は、客室乗務員にどうするのかと尋ねると、荷物を持って降りるように言われた。

シドニー空港でもう一度荷物検査を受け、同じTG991便に再搭乗した。シドニーを出発した飛行機がオークランドに着陸するころ、飛行機の窓から外を見ると虹が見えた。

「ほら、虹だよ、虹、見てごらん」と私は驚きながら妻に言った。

青い空と鮮やかな緑の大地のキャンバスに虹のアーチが映るようすはとても美しかった。私と妻は二度と見られない光景をじっくりと眺めていた。

素晴らしい虹の歓迎を受けた飛行機はオークランド国際空港に24日12時30分ころに着陸し、私と妻は空港施設ビルに入った。空港施設の内装は青を基調にした配色で、日本ではなかなか見られないセンスの内装であった。免税店が目の前に何店か見えた。到着エリアで免税店に立ち寄れるとは少し珍しいなと私は思った。

二人の入国審査は特にトラブルなく終わった。検疫は少々厳しく場合によっては罰金もあると聞いていたので、私はウールのセーターを持っていると正直に係官に申告した。特に咎められることなく通過した。妻は検疫上問題になるような物は持ち運んでいないようだった。

空港ビルの外にあるバス停に接近すると、私たちに空港の職員、バス会社あるいはボランティアかなといった雰囲気の親切な年配の女性がこの自動販売機でチケットを買うようにと知らせてくれた。

空港で両替したてのニュージーランドドル紙幣(プラスティック製なので紙幣と呼べるのかどうかわからないが便宜上紙幣と呼んでいる)を機械に挿入しチケットを二人分買った。しばらくするとエアバスがバス停前にやって来た。

私たち二人はオークランド行きのタイ国際航空TG911便に搭乗した。福岡からバンコクへ来る時の機内の雰囲気は日本色が強かったのとは違い、オーストラリアあるいはニュージーランドといった空気であった。もう日本人はほとんどいないし、日本人客室乗務員もいない。機内では英語の会話が頻繁に聞こえた。

午後6時20分ころに飛行機はバンコク・ドンムアン国際空港を離陸した。窓の外はバンコクの夕景が淡い光を放つ。飛行機は順調に高度を上昇、シートベルトのサインが消えると客室乗務員は乗客に何かを配り始めた。

私と妻のところにもそれが配られた。それはあられであった。米菓のあられ(袋にはrice crackerと書いてあった)であった。乗客の大半は白人なのにあられがスナックとしてでてくるとは、タイ国際航空も変わったことをするなあと思った。それともあられはオセアニア白人社会にもうすでに広く受け入れられているのだろうか。

私はぼりぼりとしょうゆ味ののり巻きあられ食べていた。ヴィクトリアビターというラベルのオーストラリア産ビールを飲んでいた。これからようやくたどり着くであろうニュージーランドのことを思い描いていた。

ニュージーランド、島国、なんか日本列島みたいな形、ひつじ、マオリ族や温泉などいろいろ私の頭の中に浮かんだ。そして私はビールを飲み暗くなった空をぼんやり眺め、ニュージーランドとはいえ旅の無事を祈る。

歌好きのドライバーの彼は空港までずっと歌っていた。どのターミナルへ行くのかと聞かれた。

「ターミナン・ヌン(ターミナル1)」と私は答えた。

彼は失笑気味に笑い、車をターミナル1に止めた。彼にチップ込みで200バーツ渡して、私と妻は空港ターミナルビルへ移動した。

タイ国際航空のカウンターで私たちは、シドニー経由オークランド行きタイ国際航空TG991便の搭乗手続きを終えて、それから空港使用料500バーツの証紙を自動販売機で購入した。そして出国審査を無事に終了し、パスポートの査証欄にはには紫色の三角形の出国スタンプが押された。

私は免税店でマーテル・XO・スプリーム350ccを買ってしまった。私はこれからきっとコニャックが飲めるようになりたいと思ったのだろう。高いか安いかよくわからないのに買った。2100バーツだった。

出発前の免税店があるエリアには他にレストラン、バーといった飲食施設、インターネットができる場所があり、これらは大体の国際空港で普通に存在している。その一方、わりと珍しい施設としてマッサージ店がそのエリアにはあったのだ。中では多くの人が疲れを解放しているようであった。私たちはフットマッサージをお願いし、わずか30分のマッサージであったが気持ちよくマッサージの施術を受けた。私と妻はTG991便の出発ゲートへ軽くなった足で向かった。

朝起きるともうホテルのチェックアウトの日だった。旅行中の時間の経ち方は容赦なく速いと感じた。私と妻はチェックアウトの身支度を済ませ、朝食はホテルのレストラン・ビスコッティへ食べに行った。妻はベルギーワッフルをおいしそうに食べていた。私もそれを半分もらってしまった。

朝食の後、私たちは部屋をあとにし、チェックアウトを済ませて荷物をフロントに預けた。国際線出発まで多少時間があったので、マーブンクロンあたりへ出かけた。

マーブンクロンでインターネットをしたあとランチにしようかということになった。

マーブンクロンには巨大なフードコートがある。そこのシステムはまず現金をクーポンに換える。それから気に入った店を見つけて注文してクーポンで支払いをする。フードコートの各店でなぜ現金を扱わないのかという理由は私には分からないけれども、少なくともバンコクの多くのこうした食堂ではクーポンでやりとりしている。

私たち二人は昼食をそのフードコートで取ることにした。今回驚いたことに、いつの間にか(一体いつ改装されたのだろう)マーブンクロンのフードセンターは改装されていた。少しばかりおしゃれ度がアップしていた。また、メニュー表記はタイ語だけだったのが英語も併記されるようになっていた。

しばらくいろんな店を見たあとアヒルの煮込みを乗せたゴハンがおいしそうに見えたので私はそれを注文した。妻はカオ・パット(タイ風チャーハン)を頼んだ。柔らかく煮込んだアヒルのゴハンを私は満足しながら食べた。妻の注文した料理は少し水分が多いその仕上がりに不満な様子だった。確かにチャーハンはパラッとなっている状態のものがおいしいと私も思った。

昼食の後、スカイトレインでホテルまで戻った。1時間くらいロビーでくつろいだあとホテルからタクシーで空港まで向かうこととなった。

一台目のタクシーはメーターの使用を拒む運転手だったので私と妻はすぐにそのタクシーを降りた。ホテルの玄関前にやってきた次のタクシーのドライバーはメーターをオンにした。彼は歌が好きなようで始終ゆったりとしたメロディーを口ずさんでいた。

私は「どの品がお薦めですか」というようなことをウェイターに伝えると、彼は前菜やメインの品についてお薦めをそれぞれ説明し始めた。

彼は流暢な英語で料理の説明を英語の聞き取り能力不足の私にていねいにし、私はその流暢さに流されるかのように彼の推薦を注文した。メインにはチャコールグリルで焼いたブラジル産テンダーロインステーキを注文した。

私は彼のパンツのポケットに目を不意に向けると、そこからディズニーリトルマーメイドの携帯電話に付けるフィギュアが飛び出していた。

「オウ、マーメイド!」と私はフィギュアを指差して言った。
彼ははにかみながらそれをポケットの中に押し込んだ。
「あれはきっと彼女のプレゼントよ。きっと」と妻は私に言った。
「そうかもしれないね」と私は答えた。

彼はそのあと同僚となにやら話している。きっとマーメイドの人形のことを私たちに見られたことについてしゃべっているのだ。人形が見つかった時の彼のスマートな振る舞いの替わり具合に、私と妻は彼のタイ人らしい一面を見たような気がした。

ビールを飲んで食事をしながら、タイ最後の夜を過ごしていた。知らない間に客の数は増えている。後ろの席では日本人と西洋人がビジネス文書を取り出していた。

ついにテンダーロインステーキが二人の目の前に現れた。肉の厚さは5、6センチほどのステーキが実にうまそうだった。私はナイフで肉を切り分け肉片をお互いのさらに盛り付け、グレイビーソースをそのステーキに乗せた。私はそれを口にいれしっかり歯と咀嚼筋や舌そして鼻を動員しステーキのすべてを確かめた。実にアローイ(タイ語でおいしいの意)なステーキだった。柔らかくアミノ酸の旨みもたっぷりでジューシーだった。タイで素晴らしいステーキにありつけ、おそらく私の脳内では幸福感を満たす神経伝達物質が出ているような気がした。妻も私もステーキを十二分に満足しながら食べていた。

Spathiphyllumホテルに私たちは帰り、夕食はどうしようかということになった。昨日は屋外でタイスキだったので、今日はホテル内のレストランにしようということになったが、イタリアンレストランのビスコッティはかつて行ったことがあるのでそこは外して考えることにした。タイではあまり旨い肉を食べたことが無いのでステーキが楽しめるマジソンに行こうかという意見と少しタイでは有名っぽいタイレストランのスパイスマーケットに行ってみようかというアイデアが出た。幾分肉を食べたい気分だったこととタイ料理は何度も食べたことがあるので、タイでは少しめずらしいステーキグリルのレストラン・マジソンに行くことにした。

午後6時半ころ私は部屋の電話で受付にマジソンの予約をお願いした。それからちょっとして受付から折り返し電話がかかってきて、「7時からマジソンで二人の予約は大丈夫です」と知らせてくれた。

私たちは7時ころにレストランへ下りた、レストランはこのホテルの中庭の側にあり、中庭の池では艶やかな鯉が優雅に泳いでいた。

レストランへ入り私はウェイターに名前を告げ、予約した席へ案内してもらった。案内してもらった席はイギリス列車のコンパートメントを彷彿とさせる形式で区切られた席で、プライベート感あふれるいい場所だった。席は大き目のゆったりとしたソファで、目の前のテーブルはかなり分厚い木製のテーブルだった。何も食べずにしばらくここでゆっくりと何かを飲んでもいいなと思うそんな場所に私と妻は座っていた。周りには客はいないようであった。目の前ではテーブルに置かれた照明のちらちらとした灯りがテーブルやグラスに映る。

メニューをウェイターは私と妻に手渡した。メニューに私と妻はにらめっこをした。メニューはやはり英語で書いてあるのでところどころ分からない表現があった。私はメニューを見ている間、クロスターという銘柄のビールを2杯頼んだ。ウェイターはクロスターをジョッキに注ぎテーブルに置いた。私はちょっとした覚悟を決め注文に挑んだ。

私と妻はエスカレータを登ってゲームセンターやシネコンがある場所へたどり着いた。

この階には1時間当たり30バーツ(2004年当時のレートの日本円で約80円)と手ごろな料金でインターネットができるスペースがあるので、以前からマーブンクロンへ寄る度に私たちはそこでネットをしていた。私はメールのチェックやニュースのチェックをした。お互いに好きなだけネットをして、2分刻みで料金を精算してもらった。

妻は足マッサージをしてもらいたいということで、3階にあるマッサージおよびエステっぽいことをやっていそうな店で足マッサージをしてもらうことにした。1時間300バーツ(当時のレートで約800円)であったが、このMBKの中だと価格はこんなものだろうと思った。私は日本ではあまり体験する機会がない顔のトリートメントをしてもらうことにした。従業員は仕事しているのか遊んでいるのかわからない気楽なタイ的雰囲気を漂わせていた。

私は台に横になりマッサージされるまでおとなしく待っていた。少し待つと施術者は私の顔に蒸しタオルを乗せた。それから顔に何か塗られて顔の皮膚表面いたるところをぐるぐるとマッサージされた。なかなか気持ちいいものだなあと私は思いながらマッサージされていた。その後、鼻の表面を何かで吸引され、ハチミツのにおいがする何かを顔に塗られた。冷たい何かで顔をパックされ、しばらくしてから指で顔を触ると石膏みたいに硬かった。他にもキュウリを顔に張られたりした(何の効果があるのだろうか)。

妻は足マッサージを受けたが、初めは未熟なマッサージ師がやっていたけど途中で上手な人に変わったようであった。お互いリフレッシュして店を出た。

朝食が終わってからしばらくしてから、私と妻はラチャダムリ駅からスカイトレイン(BTS)に乗り、サイアム駅で降りた。近くにあったマクドナルドへ行った。店の入口には合掌をしているドナルドフィギュアが客を迎えていた。

「マックシキン(マックチキン)セット、ヌン(1つ)」と私はタイ風英語発音とタイ語数字を交えて言って注文した。

 妻はハッピーミールを頼んだ。それから私はオレンジ色のソフトクリームが目に入ったのでそれを注文した。このソフトクリームはマックコーン・マンゴというのだが実はソフトクリームの上にマンゴチョコレートをコーティングしたものだった。私たちはそれらを食べたらトレーはテーブルの上に置いたまま(タイは従業員がトレーを下げている)店を出た。

しばらく国立競技場方向へ歩くとMBKとでっかく壁にロゴが掛かってあるビルがあった。MBKとはマーブンクロンのことだ。マーブンクロンは巨大なショッピングモールである。ショッピングモールとは言うものの、日本にあるようなショッピングモールでは決してなく、タイ人から見ればスッキリとまとまっているかもしれないが、MBKは日本人から見るとかなりカオスなショッピングセンターだ。

東急ストアが隣接しているこのMBKにはスーパーマーケット、ドラッグストア、カフェ、ヘアーサロン、CDショップ、ドーナツショップ、ラーメン屋、タイスキ屋、メガネ屋、印刷屋、金行、かばん屋、みやげ物屋、服飾店、コンピュータショップ、携帯ショップ、シネコン、ゲームセンター、ボーリング場など本当になんでもある。

そしてどの辺がカオスかというとアクセサリーを売っている店の横でお菓子を売っていたり、世界中の様々な人種がいたり(そのように私には見える)するところなどがそんな風に思わせる。とにかくタイに行ったことのない日本人がここMBKへ来ればおそらくそのことを感じ取れると思う。

今までの旅行を振り返ってみると、バンコクに来たときは必ず一度はMBK内を歩いた。そして、また私たちはMBK内を歩いた。通路には物品販売ワゴンが並んでおり、女性店員は、客が売り物の品々を見ていても気にしない様子で食事をしていた。商品の値切り交渉している光景が見られた。吹き抜けにはタイ国女王の72歳の誕生日を祝う肖像が掛かっていた。

ビスコッティという名のホテル内にあるレストランで朝食となった。朝以外の営業時間帯では、このレストランはイタリア料理のレストランでもある。朝は世界中のホテルでよくあるカフェテリア形式の朝食をサービスしている。店内はモダンな雰囲気で、内装やダイニングセットはシックにまとめられていた。

レストランに入ってすぐ左側の台に新聞が並べられていたので、私はネイションという英字新聞を食卓で読むために手に取った。私は未だスラスラと英字新聞を読んだりすることはできないが、異国の地で英字新聞を読むのは心地よかった。

レストランスタッフが私たちに飲み物の注文を聞いたので、私と妻はコーヒーをスタッフにお願いした。それから、二人でそれぞれの皿に思い思いに料理を載せる。ベーコン、フライドエッグ、野菜の炒め物、などいろいろ皿に盛った。それから、キウイジュースを勧められたので二人でそれをグラスに注いでもらった。

周りは世界いろんなところからきたお客で満たされていた。休暇旅行中の開放的な表情あふれる人や、これからビジネスという様子を漂わせる人、いろんな人がいろんな目的でこのホテルに泊まり今ここで朝食の場にあるのだ。おそらく私と妻もそういった風景の一部なのだ。

フルーツが種類豊富に用意されていた。私はパイナップルとマンゴスチンを選んでみた。パイナップルは日本のそれよりもはるかに美味しかった。果物の女王マンゴスチンの白い果実は独特の甘い香気を漂わせ、その果肉は甘くそして酸味がいい具合に混ざり合っていた。私も妻も朝食をゆっくりと時間をかけて楽しんだ。日本にいるとき、とりわけ平日の朝食にはあまり時間をかけていないのだ。食事を終えると勘定書きにサインをして私たちは客室へ帰った。

さっき注文した炒め物のせゴハンは香辛料がほど良く効いたナンプラーの香りが漂っており、食べてみるとやはり辛くて美味かった。私たちはタイスキを食べ、炒め物のせゴハンも食べ、ビールを飲んでいた。

タイスキの具を八割ほど食べたころ、雨粒が私の頬を濡らした。もしかしてこれから雨が降るのかと思った。しかし、この屋根のない露天食堂でどうやって食事をするのだろうと思っていると店員はどこからともなく大きな雨傘とそれを立てるための支柱を用意し始めた。私たちの席に雨傘は据え付けられなんとか食事は続けられそうだった。そう、私と妻はなんとか食事を続けたのだ。時折吹く風も激しくなっていき雨も強くなってきた。二人とも多少雨粒に当りながら食事を終えた。

夕飯の後もうホテルへ帰ることはできないくらい雨が降っていた。お腹一杯になったころ、雨雲はバンコクの雑踏を雨一杯の風景に塗り替えていた。雨だけではなく風も激しくまるで台風の暴風雨だった。私たちは建物の軒下で雨宿りをする。目の前は雨が地面を激しく叩いている。こんなにバンコクで雨に見舞われたのは二人とも初めてだ。まわりは急いで店をたたんだり、トゥクトゥクに駆け込んだり、バイクがスリップしたりといろいろな雨中のできごとがあった。

同じところで雨宿りをするのはなんだか退屈だったので建物の軒下をたどって歩き、私と妻はセブンイレブンの中へ入った。少し雨で濡れた私たちにはセブンイレブンの店内は寒く感じられた。おにぎりでもと思ったが、ここはタイなのでそんなに欲しくないにもかかわらず水でも買ってみた。店内の隅でゴキブリを発見した。南国タイで目にするゴキブリはやはり大きかった。5、6センチはあっただろう。

ゴキブリのいたセブンイレブンを二人はあとにし、ワールドトレードセンターとセブンイレブンの間にある屋根付の陸橋で風雨をしのいだ。しばらく―おそらく食事後1時間以上だろう―すると大雨はようやく小粒な雨へと変わった。「じゃあ、帰ろうか」と妻に私は言い、少し静かになったバンコクの町の中、ホテルへと足を向け小雨の中歩いて戻った。

ホテルでしばらく私と妻はくつろいだ。外で何か食べようかということになったので、妻と一緒に外へ出た。

ホテルの外へ出てラチャラムリロードをワールドトレードセンター方向へ歩いてみた。歩道の傍らにはいろんな種類の店がある。つくねのようなものを串刺しにして売っている屋台、その場で搾った柑橘類をジュースとして売るお店、花飾りを売る店、カットフルーツを売る店、カオパット(タイ風炒飯)を作っている屋台などがある風景を眺めていると私はやはりタイに来ているのだと思わずにはいられない。

ワールドトレードセンターの向かいのセブンイレブンの近くで、バンコクで暮らしている人々―おそらく私にはそう思える―が路傍に並べられた食卓で焼肉やら鍋もの―タイスキと呼ばれる―を食べている光景が私の目にとまった。

そこにあった席に私たちは座り、その鍋ものを食べたくなったので、店員にタイスキをお願いしますと頼んだ。私たちに、写真入りのかなり年季の入ったメニューを見せられ、どの具を注文するかを聞かれたので、ラグビーボールのような形をした魚の練り物、ボール型の豚肉の練り物、イカ、クラゲ、鶏肉、そして野菜の盛り合わせを注文した。

注文が終わると今度は飲み物販売担当の店員がやってきたのでビアシンというビールをオーダーし、その売り子に60バーツ払う。乾杯をして気持ちよくビールを一口飲むとそれから食卓の上には丸いレンガ色の土鍋が運ばれた。鍋から食欲をそそる香辛料の香りが漂う。私と妻は鍋に具を入れ始める。鍋の容量限界の半分ほどは野菜、残り半分はその他の具を適当に入れ、蓋をして少し待った。具に大体火が通ったら、タイスキのタレを椀に少し入れ煮汁で薄め、椀に具を入れて食べる。タイスキを食べ、ビールを飲んだ。タイスキを味わっただけでなく、日常からの開放感を妻と一緒に味わった。ビールが無くなったのでビールをもう一本追加し、ついでにグラスに氷を入れてもらった。外で飲むビールはすぐに温くなってしまうからだ。

他にも何か頼もうと思い屋台を見て回る。屋台タイスキ誰かがタイ米の上に豚肉と野菜を炒めたものを屋台の店主から渡されているのを目にしたので、私はそれと同じものが欲しいと指差し注文した。店主はあとでテーブルまで持って行くと示唆したので私はテーブルに着いた。4、5分すると店主は私を探しながら注文した炒め物のせゴハンを持ってきた。30バーツを店員に渡した。「コープクン、カッ(ありがとう)」と言われ、それから私も「コープクン、カッ」とおうむ返しに喋った。

ホテルに到着し、フロントでホテル予約のコピーをスタッフに見せながら
「Check-in, plea…、あっ、日本人ですか」と私は言った。

彼のジャケットの胸ポケットにはローマ字で日本人の苗字が記されたバッジが付けられていた。フォーシーズンズホテル・バンコクくらいのホテルでは日本人のスタッフがいるのは当然なのだが、ここは日本国外なので自然に英語を使ってしまう。パスポートを見せたり、クレジットカードを見せたりしてチェックインの手続きが終わると、私たちは部屋まで案内される。

彼はホテルスタッフらしい態度で部屋までなんのそつもなく案内した。カードキーを差込部屋に入る。部屋に入るとまた彼は部屋の説明一通りした。彼が部屋から出て行ったあと、私は廊下の棚にあったフルーツに気がついた。リンゴ、オレンジ、マンゴスチンが盛られていた。マンゴスチンを冷蔵庫に三ついれた。マンゴスチンは少し窮屈そうだった。

しばらくすると、チャイムが鳴った。スタッフがやってきて部屋の中でジャスミンティーのサービスをしてくれた。彼女が出て行った後、ソファに座りながら私と妻はそれを飲んだ。外はプールが見え、何人かの宿泊客が遊んでいる。部屋にはタイ絵画が掛かっている。部屋はそんなに派手な感じではないが、さりげなくタイの雰囲気があらわれている。部屋から出なくてもいいと思うくらいくつろげる雰囲気があるのだ。

空港到着フロアの出口のタクシー受付で私は行き先のホテル名を告げた。私と妻はタクシーに乗車する。バンコクのタクシーはメーター制でタクシーの屋根には大体TAXI・METERのサインがある。まれに交渉制のタクシーがあり、私は一度だけ目にしたことがある。タクシーの初乗り運賃は35バーツで日本円にして約90円程度だ。空港からバンコク市内まで2回高速道路の料金を払う。合計70バーツの高速料金を払う必要がある。

タクシーはかなりくたびれたクルマ(マツダ)だった。これくらいぼろぼろでもマツダ車は走るところに感動するくらいボロボロだった。さすが日本車だなと思わせた。タクシーの車内にはよくミニチュア仏像やら花飾りやらがおいてあることが多いのだが、このタクシーはそうした飾りは何もなく、タイにしては珍しく感じられた。

私たちがタクシーに乗って20分くらいするとバンコクの高層ビル群が見えてきた。タクシーは高速の高架を下り、そしてスクンビットロードに入りプルンチットロードへ進みラチャダムリロードとの交差点を左折して私と妻の乗ったタクシーはホテルに到着した。

ドンムアン空港にてタイ国際航空TG649便は5時間ちょい飛行し、バンコク・ドンムアン国際空港に3時すぎに到着した。

だいたいいつも、タイ国際航空で福岡からバンコクに到着し、飛行機から降りるといつもバス移動で到着ターミナルへ移動となる。そして今回もその例外とならずターミナルビル移動用バスに私たちは乗った。バス移動は少し面倒くさい。そしてこのバス移動はタイらしくちょっと運転が荒い。ターミナルビルに到着すると入国審査だ。私たちはFOREIGN PASSENGERと記してあるレーンに並ぶ。それ以外のレーンでも、入国審査官の手が空くとそっちへ行くように案内されたことが以前たまにあったけど、基本的に日本人はFOREIGNERの方に並ばないといけない。

審査で私たちは特に何もきかれることもなくパスポートに長方形のスタンプが押された。出国カードがホッチキスでこのようにされるのはあまり好きではないのだが、直接ガチャリとパスポートの査証欄にくっつけられて入国手続きは終わった。

機材はA300だった。私は搭乗するときにJAPAN TIMESと朝日新聞をもらっておいた。別に新聞がとても欲しいわけでなくてもなぜかこういうときにはもらってしまうのだ。

タイまでのフライトは約5時間の予定であった。飛行機の座席に着いてしばらくすると、離陸開始のアナウンスが始まり、シートベルトを締めるようにとか、緊急時にどうするかといったビデオが上映された。飛行機は無事に離陸し機体が水平飛行状態になるころ、スナックのナッツが配られ、ドリンクが乗客に振舞われた。

スナックを食べ終えたころ、機内食が配られ始めたが、私たちの席は最後尾で、この日は前から配膳していったので、機内食は魚のみしか(ほかに何があったかは忘れてしまった)選べなかった。

「サカナスィカアリマセン。ゴメンナサイ。デモゥ、サカナノホウガオイスィネ」と客室乗務員は日本語で私に言った。

彼の日本語の言い方はかなりおかしかった。そして、魚のほうは機内食にしては確かになかなかいけたような気がする。

機内食を食べ終えると私は休憩することにしたなのだが、最近は深部静脈血栓症(ロングフライト症候群)を心配してかやたらソフトドリンクを配っていた。私は配られるたびに「そうか、安全のためだよな」と思いながら頂いた。機内にはおそらくタイ国内あるいはその周辺のアジアを旅行する人で一杯だった。バンコク経由でニュージーランドに行く者は多分私たちだけかもしれないなあと思った。

タイ国際航空機内
今からタイへいきま~す。この写真はタイ国際航空の機内です。

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